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ミモパワカメラⅡ

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2008年 10月 18日

土佐 幕末をしのぶ

通りを歩いていると、城の大手門に当たる
その手前には高知大神宮

そして、もう少し戻ったところに
武市瑞山殉節の地という碑が銀行の角地にある

前に訪れた時には、この碑があるのに気づかなかった

司馬遼太郎の小説で、武市は白札郷士の格で登城を許された身分とされていて、
(だったかな?ちがったらすみません)

その武市率いる土佐勤皇党の「人斬り」と言われた岡田以蔵は後にとらわれた際には士分として扱われなかった

武市は上士格だったので、この城内の地で刑を受けたのだろう
この碑のある角から、黄色い高知大神宮の鳥居の方向が高知城本丸になる
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みなもと太郎のマンガ「風雲児たち」では、竜馬、以蔵と幼馴染でユーモラスながら
上士格らしく貴族的に描かれ、城の殿様を敬っていた
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彼としては、場内で最後を終えた事はせめてもの救いだったのかもしれません

坂本竜馬の盟友として知られる中岡慎太郎

北川村にある、中岡慎太郎の生家に案内してくださったのは、取引先の社長さん

しかし、中岡慎太郎の事は知ってはいたが、彼の生まれ故郷を訪ねることがあろうとは思いもよらず、と月並みな感想

出張先の高知市内に入ってから見た観光案内看板により、訪ね先を確認しながら
「おっ、近いところにあるんだな!」と意識はしたのだが、、

歴史は好きで、機会があれば訪ね歩いたりする私でも
正直こういう機会でもないとなかなか来ないと思われる
中岡慎太郎ファンには失礼か、、、

こういう驚きは、予備校時代の気の会ったヤツの実家の横に
塙団右衛門の戦死の地なる碑を見たときぐらいの驚きでしょうか、、、

 古千屋
 「樫井(かしい)の戦いのあったのは元和(げんな)元年(がんねん)四月二十九日だった。大阪勢(おおさかぜい)の中でも名を知られた塙団右衛門直之(ばんだんえもんなおゆき)、淡輪六郎兵衛重政(たんなわろくろうびょうえしげまさ)等はいずれもこの戦いのために打ち死した。殊に塙団右衛門直之は金(きん)の御幣(ごへい)の指(さ)し物(もの)に十文字(じゅうもんじ)の槍(やり)をふりかざし、槍の柄(つか)の折れるまで戦った後(のち)、樫井の町の中に打ち死した」
漢字が判らないので、ネットで検索してみたら、
芥川龍之介の文章が出ていたので、無断引用御免くさい。
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来てみて驚くのは、交通手段も、メディアも、無い時代に、
海すら見えぬ山深い、しかも四国のまた、険しい山に囲まれた土佐の北川郷で
天下国家に夢をはせ、思いをめぐらせた漢というのは、
どれだけ大きな人間だったのだろうという感想を素直に思ってしまいます
その感想を述べると、社長もうなずかれた。
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大庄屋というには、小さな住まい、私の父方の、十津川の田舎やよりもっと小さい。
田舎の家の裏を通る小さい道は、クマの街道と父が言う
ちがった、熊野街道。その田舎やは街道を通る人たちの為の宿屋をしていた家らしいが、、、
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土佐は、中岡以外にも、草深い村々からたくさんの志士が出現している

人は、志の高さが必要ですなぁ
他人に厳しく自分に甘く、理想は高く現実はあくまで低く、身に降りかからなければ他人事

文にまとまりがないなぁ、、、これ以上書いても、余計わからなくなりそうだ
恥ずかしき40代ですな。

by mimopowerOM-1 | 2008-10-18 02:35 | ごにょごにょ旅日記 | Comments(0)
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