ミモパワカメラⅡ

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2010年 12月 17日

浜口 雄幸邸

田野町には、昭和4年に内閣を組閣した浜口雄幸邸がある。
清岡道之助生家跡からすこし海側に下りてきた辺りになる、清岡生家跡の案内と同じように目にしていたのです。
これも感激しましたね、城山三郎”男子の本懐”を読んだころを懐かしく思い出しました。
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狭い路地の道路を慎重に走らせ、やっと邸跡に辿り着く、家の前には車が3台から4台ほどを停めることが出来るスペースがありほっとする。
辿り着いた浜口雄幸邸の内庭の濡縁で、談笑しながら将棋を打つ人たちが居た。
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浜口雄幸は、田野町の郷士”浜口家”に養氏に入ったのです。この浜口家と、先の清岡家は縁戚になる。
浜口家は奈半利河畔の開拓などで功があり下士になり、やがて上士の待遇を受ける”白札格”を得る
武市半平太と同じ白札郷士の格なのです。
そして邸のたたずまいは清岡道之助邸と同じく、このあたりの郷士屋敷の典型らしい。

浜口は高知県出身の初めての首相でした。
雄幸は高知市内五台山近くの水口家の出になり、優秀なことを見込まれ養氏に迎えられたと聞きました。
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門を入り、右手の入り口には”自由におあがり下さい”と案内があるが、濡縁に人がいるのでしばらく躊躇してしまった。
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ここに住まう人とご近所の人なんだろうか?としばらく様子を見ながら、家の周りを見て歩く。
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で、意を決して、上がってみたのだった。
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時間も時間なので、そろそろ家に帰りますので続きはまた。
コニカ オートリフレックスT3 ヘキサノンAR28ミリ 40ミリ
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by mimopowerOM-1 | 2010-12-17 21:12 | コニカ | Comments(4)
2010年 12月 14日

清岡 道之助の生家に来ることなどないと思っていたら来てしまいました

まさにタイトルに付けたとおり、思っても見ませんでした。
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清岡道之助のことを最初に知ったのは司馬遼太郎の”竜馬が行く”だったか。
強く印象に残ったのは小山ゆうの”おーい竜馬”だったかもしれない。
高知市内から遠く離れた郷士の清岡道之助という記憶が出来上がり、まさかその近くにまで辿り着いていたとは露知らず、
3回目の奈半利にて気づいたのでした。
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思っていたより立派な家でした。
ミモパワの常で、辿り着いたら表から、裏から、横から斜めから。
うろちょろするのです。
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蔵まである。北川村庄屋の中岡慎太郎よりも立派な屋敷です
当時の郷士の屋敷の面影を充分にとどめているそうです。
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裏の、広い庭には滑り台まで。
清岡道之助は、武市半平太が土佐藩の政変により投獄されると、
その非を鳴らし、土佐4郡の下士の勢力をそろえ、解放するよう藩に訴え、願い適わず蜂起する。
その後阿波に逃れるも阿波藩兵に捉えられ土佐に送り返されすぐに斬首となった。
だからこの清岡家も断絶しこの家も他に渡ったらしい。
明治に入り、その罪を免ぜられ再興する様だが、今は住み手がないものを町で管理しているようです。
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道之助さんは陽明学の徒だそうで、どうも本来の意味とは離れているようですが
”知行一致”の精神の元、他郡の下士の足並みが揃わなかったにもかかわらず、安芸郡の下士のみで蜂起したようです、その蜂起した面々が道之助を中心とした二十三士で、みな同じように斬首されていて、奈半利河畔に碑があるそうな。
最初気づいたのはこの”二十三士の碑”でした。
それで夕方の空いた時間にホテルを出てきたのですが、生家跡があると立て看板を見りゃ、生家に向かうでしょう。

そんなものですから道之助について語るようなものは何もないのです。
ただ、行ってきたよ、という報告だけです。

今回調べていて幕末から明治あたりの古い写真を取り上げているブログを発見
道之助の写真といわれているものはどうも違うらしいと書かれている
妙に顔の長い男の写真なんですけどね。

年末は忙しくて仕方ないですね
忙しさを理由に何もしないようではいかんと書きはじめたけれど、やはり忙しいと書く気力が減退しちゃいます
特に、あまり知らなかった事について書くのは気後れが先にたちます。

今朝は起き出したものの体の節々が痛い
昨日は仕事で体を使ったわけではなかったので、筋肉痛ではなくもしかしたらフルーかも?
と思いながらも週末の”手作りカメラ”の例会報告を書き書き、仕事もしつつ夕方を迎えるとあら不思議
体の痛いのが減りましたとさ。
こういう時に書いとかないと、次に進めませんわ。
中身ないけどね。
ただ、道之助の生家は本当に田舎の中で道も狭く、家ノ前の並んでいる農家の前の道に迷惑かと思いつつレンタカーを停め、パシャパシャと写してまいりました。
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このマンジュシャゲの向こうが道之助の生家のあるところです。
本当は、この絵だけを載せたかったのかも知れません。
コニカ オートリフレックスT3
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by mimopowerOM-1 | 2010-12-14 20:42 | コニカ | Comments(2)
2010年 12月 07日

クマの居る生活 キエフ88

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クマの居る生活。

最近ちょっと忙しくてね。
閑話休題です、ほんまに閑話ですが。

そういえば、今日はクマの誕生日
早く帰らなきゃ。

このクマはとうちゃんがゆうふぉぅきゃっちゃーで獲った物
チビ共にちょっと良いとこ(悪いとこ)見せちゃった。

キエフ88 VOLNA (ヴォルナって読むのかな?)80mm F2.8
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by mimopowerOM-1 | 2010-12-07 17:36 | ロシアもの | Comments(4)
2010年 12月 02日

清岡道之助旧邸 コニカ オートリフレックスT3 

中岡慎太郎生家跡に案内後、奈半利のホテルに帰着
じゃぁ夕飯は早めに摂るべぇと別れる。

うーん中途半端な時間が空いているなぁ…、ということはどんな早い時間に仕事が終わったんだい?なんて突っ込みは無しでお願いします。

もうちょっと早く開放してもらえていたなら、安芸まで足を伸ばすことも考えたのだけども。
前日と同じに、買出しがてら、港でも歩こうか、ついでに奈半利は紀貫之の土佐日記でも登場する”那波の泊”と記されているように古くから港として開けていた、その”那波の泊の碑”でも見に行こうか、と思案していたところ、そうそう、高知から奈半利に入る途中、”二十四士の墓”と案内があったなぁ。

高知から室戸岬に向かって安芸を越え走って行きますと奈半利川にあたります、この河口あたりが”那波の泊”で、川を渡ると奈半利町、奈半利に入って山側に折れると北川町、奈半利川の手前が田野町。
田野町は、二十三士殉節の地であり、安芸郡(昔の)一帯の下士の代表が清岡道之助なのです。
殉節の地でも行ってみようと思い立ったのだが、もう少し先に旧邸が有るという、こんな機会に行かずばなるまい。
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ここで時間となってしまいました(帰れコールが入る)
講釈は次回に…
たいした話はないけれど。
コニカ オートリフレックスT3 ヘキサノンAR28ミリF3.5
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by mimopowerOM-1 | 2010-12-02 19:59 | コニカ | Comments(0)
2010年 12月 01日

中岡慎太郎 生家跡 オリンパス35S-1.9

中岡慎太郎生家跡、オリンパス35S1.9での撮影
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住居の部分の庭から撮影
鴨居にかけている額は後から掲げたものでしょうが、誰の字になるのでしょう。

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土間の台所に、オクドさんがある。
カメラに入れているのはISO100のネガフィルムで、曇り空の室内ではいかにも暗い。
開放か、もしくは少し絞って、1/8Secぐらいだったかな?手振れを避けようと建具にカメラを持つ手を押付けて写してみました。
レンズシャッターはスローに強いですね
レンズも大口径をつけているこの時代のレンズシャッターレンジファインダーは、なかなか馬鹿に出来ません。

最近”○○食堂”のおくどさんで炊くご飯が美味しいと思っているのでおくどさんに興味が向いていたみたい。
ピントは怪しいけれど。
オリンパス35S-1.9 G.Zuiko4.5cmF1.9
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by mimopowerOM-1 | 2010-12-01 20:51 | オリンパス | Comments(1)