ミモパワカメラⅡ

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2010年 02月 26日

ロンっ!

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勝負師サナちゃん

ではありませんけどー。

シネコンの中のサンリオショップ内での、お子ちゃま用に用意されたブロックで遊ぶサナちゃん

背景のモジョモジョあるのはキティやらシナモンやらウサハナやらのぬいぐるみかな?
お姉ちゃんのミユのお買い物を待つ間、他の子供が飽きて離れるまで我慢してやっと遊ぶことが出来たサナです。
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オモチャがあるから一人で遊ぶかと思い、その場から離れようとすると一緒に遊ばなアカンと叱られてしまいました。
キャノンⅢ 近接ニッコール5cmF2 コダックBW400CN
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by mimopowerOM-1 | 2010-02-26 12:53 | ニコン | Comments(5)
2010年 02月 25日

広国神社を覗いてみました 1

毎月一度、お仕事の御用事で大阪市内へ参ります。
交通手段は車であったり、電車であったり。

車で富田林から市内に向かうときには、まぁ経費の節約もあり、地道を走ってから阪神高速だけを使うのです。

大阪の中心から南大阪方面、堺、松原、富田林そして和歌山まで続いていく国道309号線、
その道を大阪市内に向かって走って中央環状線を越えると、右側に小さな?神社の看板が見えます。

”広国神社”とあります
地図で見ると、その手前、中央環状沿いには黒姫山古墳もあります。

昨年中から気にはなっていたのですけれど、天満の八軒屋浜、坐間神社の行宮が片付かないうちは、立ち寄る時間などありません(いや、仕事中、ほんのちょっとだけ、の寄り道ですから…)。
その時間は道すがら、短縮しますから、もちろん制限速度内で(^^)v。
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表通り(309号線)に面した、目に付いた看板を写せばよかったんだけど、タイミングを失して写せずじまい
ほんとに広国神社と証明するような手ごろな写真が無いなぁ。

社殿を写真でつらつら見ていると、ちょっと違和感がある気がする
なんだろうと、よーく見てみると屋根に違和感があるんじゃないかと気づいた。
屋根に瓦が載っている、屋根に瓦が乗っていると、神社と言うよりお寺のようなイメージが強いような気がします。
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広国神社についてネットで調べてみました。
祭神は広国押建金日命、安閑天皇だそうです、ですから広国神社なんですね。
出てくるキーワードが”蔵王権現”
明治以前の、極めて日本的な神仏習合で、安閑天皇こと広国押建金日命と同じ神仏となっていたようです
権現は神が仏の姿を借りて(権)現われる(現)ことだそうで、インド発祥の仏教ではなく日本で生まれた神仏だそうで、東北の蔵王連峰は古くからの山岳信仰に蔵王権現を勧請してきて祀ったのでその名になったと書いてある。

日本各地に蔵王権現は信仰されているのだが、明治の神仏希釈で蔵王権現さんでは具合が悪くなり、同一神の広国押建金日命を祭神とし、
各地の権現さんが広国神社にかわり、諸所に広国神社が有ると書かれていた。
この神社のHPにもこの社殿は明治末まで”神現寺”だったんだとか。
それでお寺っぽい社殿な訳なんですね、納得。
キャノンⅢ 近接ニッコール5cmF2
どおりで、梁の飾りも”ぞーさん”のような、飾りがされて有ったんだ、露出が失敗ですけれど
勘メータではうまく行きません
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おおっ、広国神社って書かれている絵があった!

PS
関西育ちで東北にはなかなか縁がないですが、蔵王って行ってみたいなぁ。
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by mimopowerOM-1 | 2010-02-25 20:08 | ニコン | Comments(4)
2010年 02月 23日

制服合わせ

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長男コウヘイの制服あわせに行ってきました。
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もちろん、こちらではありません
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女の子と違って、男の子は代わり映えしません
コウヘイは、一応後輩となります、
地元の洋品店?の人いわく、
この中学校だけは、未だにカラーを付けないと駄目なんです。

確かに、詰襟のカラーが窮屈だったなぁ
今でも伝統は生きてるんだね。

でも、わしらのときは全員丸刈りだったんだぞ!
それに比べりゃ、まだ、ましやんか
丸刈りの、チャリ毛がプラスティックかセルロイドの、カラーのひび割れに挟まって痛かったんだから。
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ファインダーの調子の悪い、コニカⅡBにて、ですからピンボケしております。
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コニカⅡB ヘキサー50ミリF2.8

最初のauの看板はauショップにて。
バァちゃんの携帯の調子が悪かったので、ショップに行ったんだけど、来月まで待って機種変した方がお得だとかで、話だけ聞いて帰ったんだけどね。
(携帯の調子も戻ってるらしいし)
コウヘイは、携帯持ちたがっているんだけど、”待て”の状態です。
結局先週末に、バァちゃん、携帯をコップに浸けこんだとかで、機種変することに。
何するねん
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by mimopowerOM-1 | 2010-02-23 19:37 | コニカ | Comments(4)
2010年 02月 22日

サナちゃん劇場

アヤナちゃんのモデル撮影の合間にはサナちゃん劇場が繰り広げられていたのでした。
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まったく、最近はイタズラ盛り、フィッティングルームは格好の遊び場に化しています。
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キャノンⅢ 近接ニッコール5cmF2
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by mimopowerOM-1 | 2010-02-22 21:30 | ニコン | Comments(4)
2010年 02月 19日

釣鐘屋敷跡

手作りカメラクラブの前のうろうろ散歩 大阪訪ね歩き ええ加減この題こっぱずかしいなぁ。

歴史の散歩道の案内板に書かれている”釣鐘屋敷跡”
なーんとなく、宇都宮のつり天井か?安珍、清姫か?(ぜんぜん違うだろうけど)なーんて思いながら歩いていく。
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”時の鐘”360年前の鐘の音が、今でも響いているのだとか。

大坂町中時報鍾 
寛永十一年、徳川三代将軍家光に、大坂三郷の地子銀(年貢ですか?)を免除されたと記録にあるんだって。(その代わり、公役【人夫】を出すんだそうですが)
その恩恵を忘れないために鐘を鋳造し、鐘楼普請を願い出て、作られたのが始まりだそうで
大坂三郷に時を知らせていたと言う。

鐘楼は4度火災に会うもその鐘は明治の代まで再建された鐘楼で時を知らせ続けた”大坂町人、市民の鐘”
が、釣鐘屋敷跡、時の鐘でした。
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大阪の曽根崎天神は、近松門左衛門の浄瑠璃”曽根崎心中”でよく知られていますが、
今と違いビルなど無かった頃は、間違いなくこの鐘の音は聞こえていたはず。
と、案内パンフにも書かれていた。

その鐘も、明治に入り、大阪城からの号砲に取って代わられたと言う
いわゆる”お城のドン”
なんとなく記憶がよみがえる、本で読んだか、今は無き婆ちゃんに子供の頃に聞かされたのか?

1985年、昭和60年に釣鐘屋敷跡に里帰りしたそうな。
今ではコンピュータ制御で8時、12時、日没に鐘が鳴ると言う。
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住友生命釣鐘クラブの横にあります
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アカレッテ シュナイダー クセナー 50ミリF3.5
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1月の訪ね歩き終わり。
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by mimopowerOM-1 | 2010-02-19 20:03 | シュナイダー | Comments(10)
2010年 02月 18日

アヤナちゃん

成人の日、ミユのGパンが要るというので、シネコンの中にあるユニクロまでお出かけです
ミユのお友達のアヤナちゃんも一緒にお付き合い

試着室で待っている間、”ちょっと、ポーズ取ってみて”といって写しました。
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コダックのBW400CNはカラー現像のモノクロフィルムですが、レンズの前にPO0フィルターを取り付けて写しています

むかしむかし、写真用品ショーで手に入れたカタログの、モノクロ用フィルターの効果を目を皿のようにして眺めていたなぁ。
赤とオレンジとイエローとグリーン
グリーンが唇の調子が一番自然なんじゃないかと感じたのですが、
一眼レフでは色つきフィルターで世界が偏った色になるので殆ど使わなかったなぁ。

手作りカメラの例会で40.5ミリのグリーンフィルターを、昔々を思い出しつつ買い込みました。
ミユのお友達で試してみたんですけど、カラー現像のモノクロでは果たして意味があるのだろうか?
ちょっと悩むところです。

キャノンⅢ+近接ニッコール5cmF2
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by mimopowerOM-1 | 2010-02-18 13:01 | ニコン | Comments(10)
2010年 02月 17日

エル・おおさか

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話は戻って、坐間神社行宮
やっと訊ね当てたら何度か訪れたことのあるエル・おおさかの横
ちょいと内に入っているとは言いながら、意識していなければ目に入っても目にも見えずというところですか。

向かいのエル・おおさかのエントランスにもなにやら看板があった。
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豊臣氏時代の大阪城を取り巻く大名屋敷の跡に立っていると書いてある

発掘調査では桔梗紋の入った瓦が出土したので、虎退治の加藤清正、その関係者?の屋敷跡だろうと推測されるそうな。

遺構をポルティコ?の一部として地上に移設保存しているんだって。
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どれがそれなんだ?

アカレッテは、巻き上げノブが大型で、摘んでまわすのが巻き上げの操作として予想設計されているのでしょうが、ノブが大きいことで、右手はカメラを保持したままで、親指の腹でノブを擦り回し?巻き上げすることが出来る。
そう、オリンパスペンのような巻上げ動作が可能なんです。
シャッターチャージ連動だし、速写性あるじゃない。

だけどあまりに巻き上げノブが大きくて、ミモパワの短いヒトサシ指では
ノブを越えてシャッターボタンに到達しないことが多々有ったりなんかしちゃったりする(TOT)
アカレッテ シュナイダー クセナー 50ミリF3.5

ポルティコって?
イタリア、ローマの建物の外側の屋根付きの装飾されたアーチ状の連続した覆いと柱を持つもの
英語で言うとアーケード、アーケードって言うと商店街ってイメージで、合わないなあ。
ついでに言うと、エル・おおさかもポルティコってちょっと違う気がするのは私だけ?
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by mimopowerOM-1 | 2010-02-17 12:53 | シュナイダー | Comments(2)
2010年 02月 16日

成人式 だって、

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一月十一日 成人の日
何の関係も無いですけど。
2回目の成人式も済ませてすでに1/4も過ぎつつあるし。

国民の休日を増やすとかで、日曜のお隣に引っ越してきてどれくらいたつのでしょうか。
15日が成人の日だったことがまだまだ体に染み付いていて薄れて行かない、
どうも気ぜわしくて仕方ない、お引越ししてからの成人式。
お正月モードの体が、仕事に入り、また緩まる
寒暖の差を行ったりきたりしていたら、血圧上昇につながり体によくないんだよ。
15日ぐらいのほうが、体が仕事に徐々になれ、疲れが出る頃に休められていいのになぁ。

たまたま、お買い物に訪れた、シネコンで撮影。
キャノンⅢ 近接ニッコール5センチF2(L)  コダックBW400CN
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あ、写真はキャノンⅡBだった。

こちらはコニカⅢAで写したものです。
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by mimopowerOM-1 | 2010-02-16 18:21 | ニコン | Comments(4)
2010年 02月 15日

人間到処有青山

二十七年雲水身 又尋師友向三津
児烏反哺応無日 忍別北堂垂白親
男児立志出郷関 学若無成不復還
埋骨何期墳墓地 人間到処有青山

坐間神社行宮を辞し、先ほどの”歴史の散歩道”の標識まで戻る
まだ少し時間もあるようなので、見つけられなかった”里程原標”に再チャレンジしてみようか?と考える。
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先ほどの標識の裏側をあらためて見ると、”釣鐘屋敷跡”と言うものがあるらしい。
適塾跡の場所は見当がつくので、おそらくこの標識の示すところは、ここから南に向いて一筋か二筋下って西に曲がった当りと推測される
これなら迷うことは無いだろう、と目標に選ぶ。

しばらく進むとお寺が出てきた
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横に維新史跡の碑が立っている
”贈正四位 僧月性 龍護遺跡 長光寺”とある
僧”ゲッショウ”ハハーン、あの人物のゆかりのお寺かな?と写真を撮っておく。

で、帰って調べてみた(ネットで)。

予期していた人物とは異なっていた。

「将東遊題壁二首」
冒頭にコピーさせてもらった漢詩の作者 周防国妙円寺住職 時は幕末の”海防僧”と呼ばれた人。
そして龍護はその叔父で、この長光寺の住職だった人。
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冒頭の漢詩は、”人間到処有青山”(じんかん いたるところ せいざんあり)
の一説が有名、昨年ミモパワが嵌っていたNHKの”カンゴロンゴ”でも取り上げられていた
もっとも、最近の解釈の、少し違う意味でだったようだが。

月性は15より漢文、仏教を収めるべく遊学し、故郷に残す母の元に必ず戻り、また各地に遊学見識を広め
長崎を訪れた際に目にしたオランダ船から海防の必要性を痛感
後に紀州藩に海防の必要性を説くために、故郷を出る
そのときに詠んだのがこの漢詩だったそうな。

京、大阪を訪れる際には叔父の龍護の長光寺を訪ねてきていたらしい。
叔父の龍護もかなりの熱血の僧だったとか。
八軒屋浜近くという地理もあり、坂本竜馬もここを訪れたことがあるのだとか。

また師弟に身分を問わず、海防を実現するために旧来の兵制をとらわれず、士農工商を問わず志ある若者たちによって、新しい兵制を確立すべきと提唱し、高杉晋作の奇兵隊、門下生の赤根武人、世良修蔵なども第二奇兵隊を組織したのだと知る。

うーん、この聞いたことのある漢詩の一節の作者が、幕末の歴史の中に居たことを、まったく知らなかったなぁ。

この碑を見つけたのも、行宮を探しあてた、御褒美だったのかも。
アカレッテ シュナイダー クセナー 50ミリF3.5
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by mimopowerOM-1 | 2010-02-15 21:23 | シュナイダー | Comments(8)
2010年 02月 12日

鎮座石 コニカⅢA

坐間神社行宮には、神宮皇后が新羅よりご帰還の折、休息されたと言う鎮座石が残されていると言う。
遥拝所のすぐ奥にはその鎮座石が鎮座しています。
ビルの谷間でもあり、アカレッテに詰めているISO100のフィルムでは心もとないので、ISO400のフィルムの残っているコニカⅢAの出番となります。
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どのような石かと思いましたら、しっかりガードされておりました。
きれいなステンレス製のケース。
中を窺い知るのはむずかしい。
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左側に回ってみました。
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やっぱり、鎮座石を覗って見たいと、左サイドからローアングルで攻めてみました。
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写真では暗くつぶれてしまいましたが、肉眼ではシルエットでこんもりとした、
座るに具合のよさげな石の姿が見えたような。

千年を?越える時間を鎮座してきた石が、ここ数年数十年の間に、こうして守られなければならなくなってしまったのでしょうか?

神宮皇后が、新羅からの長旅の疲れを休めたこの地。坐間神社の5柱の神が住まい、旅の神様たちであったいわれの一つのようです。

時代が下がって、熊野詣の始点として窪津王子があったのもこの地だったと聞いています。
やはり旅に関係しています。

昨年、先輩のお仕事のお手伝いについていって、一人勝手に寄り道して辿り着いた、あの牛童子。
その始点に辿り着いたわけでもあります。

あ、そうそう、このあたりが”石町(こくまち)”とよばれるのも、この鎮座石があるからだそうです。

最近自宅のパソコンの調子がすこぶる悪いです。
しばらくは”自宅”からはなかなか操作できないと思われます。

明日から、またお手伝いに新宮までお出かけします。
コニカⅢA
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by mimopowerOM-1 | 2010-02-12 09:18 | コニカ | Comments(6)