2010年 10月 04日

川越城  ペンタックスME Super 

川越城は、室町時代の後期に扇谷上杉家の持朝の命で家老の太田道真、資長親子に命じて江戸城と共に築かせた城と言う。
江戸城の始まりが大田資長(道灌)が築いたと言うのは知っていたのだが、この川越城も道灌の手によるものと言うのは今回初めて知った。
関東七名城の一つなんだとか。
江戸城は家老の道灌が城主として入り、こちらの川越城は持朝自身が入った。
上杉家は後に小田原北条市氏に”川越の夜戦”などで破れ、滅亡するが、江戸時代に入ってからも埼玉県内では最大の領地を有する藩として存在し、徳川幕府の老中を7人も出している関東の徳川譜代の拠点でした。
城として、かなりの要衝だったんだろうなぁ。
って言うところを勉強したんですね~。
このお城には天守閣がない。ちなみに関東7名城と言われる残りの6城にも天守閣は現存していないらしい。
それはそれで、広大な関東平野と、お馬さんでの戦であろう関東武士らしいなぁ、と思わぬでもないところ。
で、川越城には何があるのか、
本丸御殿があるんですね。
でもこれが現在修復工事中。
ま、この御殿は幕末に完成した、殆ど今で言ったら県庁のような建物みたいなので別に見れなくてもいいや。
川越火力発電所跡の東京電力を過ぎると小学校の壁に当たり右に曲がる
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道の先はまた左に90度曲がる。
小学校の正門の中には川越城南大手門跡の碑がある
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この先に県立川越高校があり、その場所は元三の丸跡になるらしい。
本丸御殿はそちらへ進めばあるのだろうけれど、真っ直ぐ行かずに住宅地の間の路地に曲がってみた。
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住宅地が途切れたところに川越城田曲輪門跡に出くわしました。
ここを上がっていくと、川越城の最高地点になる富士見櫓跡に上がれるようです
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田曲輪跡と思われるカーブを描いたただの地面が、元の城の縄張りを想像させてくれるのが楽しい。
(勝手な想像だけど)。
さて、石段を登って富士見櫓跡までのぼります。
ペンタックスME Super SMCペンタックス-M28ミリF2.8
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by mimopowerOM-1 | 2010-10-04 18:09 | アサヒペンタックス | Comments(0)


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