ミモパワカメラⅡ

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2010年 07月 01日

答え合わせ。

うーん、いろいろ調べて書こうと思っていたら、既に詳しく答えが出ているではないか。
yueさんにはこの話はしていたので、判るよね、と言うところ?
ろばーとさんは流石に飛行機マニアだけのことはある。
GuGuGammoさんはこれまた流石に物知り電脳大魔神でいらっしゃる。

さて、この古びたエンジン、GuGuGammoさんが書いていらっしゃるように第二京阪道路建設中に発掘された。
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出土品とか、残骸とか、ちょっと言葉を選べなかったかと言う気持ちは無くは無い。

旧日本陸軍三式戦闘機キ-61飛燕は、川崎航空機が設計した水冷式エンジンを搭載した第二次世界大戦中の日本軍機の中では異色の存在。
わたしゃこの飛燕に、小学生の2年から3年生の頃ハセガワの1/72スケールプラモデルで出合って以来、 それまで零戦一辺倒だったのがそのスタイルのよさに最も好きな飛行機になった。
長じて、設計者の川崎航空機の土井武夫(故人)の飛行機設計に関する記述を読みさらにファンになり優秀な戦闘機の一つであると信じている。

さて、交野イキイキランドでは、時間つぶしの合間にうろうろしていて偶然この常設展示にであった。
墜落破壊されたものとは言いながら、”飛燕”の実機(完全じゃないが)に面接できるとはまさにこのときまで思いもしなかった。
(九州の知覧にアメリカから返却された機体があるらしいが。)
この日持っていたカメラはオリンパスOM-2n、アルコ35、そしてデジタル一眼のE500。
距離計連動スプリングカメラのアルコでは、室内の展示物を写すのは心もとない
OM-2nなら撮影も充分だが、昨日も書いたように切ったコマが最後の一枚だった。
フィルム消費するのに無駄打ちしてるんじゃなかった。

幸い子供たちのソフトボールチームは勝ち進み、5月2日に再び交野に来ることが決定した。
おかげで、撮りなおすことが出来ました。
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ダイムラーベンツDB600系エンジンをコピー国産化した飛燕の発動機。
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ホ103 12.7ミリ機関砲、”飛燕”の機首に2門装備されていた。
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ホ5 20ミリ機関砲、 ”飛燕”の翼に左右それぞれ1門づつ、計2門が装備された。
旧陸軍を含め旧日本軍はくるくる回る”軽”戦闘機で格闘戦を重視し、搭載機関銃も7.7ミリ機関銃が主流だった。
小さいほうが軽くて、機体も軽く作れるから。
旧陸軍のベテランパイロットは7.7ミリ機銃2丁装備の軽戦闘機の傑作?中島製九十七式戦闘機を信望していたのだった。
世界はメッサーシュミット、スピットファイアに代表される高翼面荷重の”重”戦闘機がもてはやされていたが、日本は取り残されていた。もちろん非力な発動機しか作れない事情にもよったのでしょうけれど。
その中にあって川崎の土井氏は三式戦闘機設計以前から速度と縦方向の旋回、旋回半径の小ささより旋回速度を重視した設計を行っていた(ようだ)。
だから土井氏の求める戦闘機像は、重、軽、戦闘機にとらわれない、速度、運動性を兼ね備えた戦闘機を目指し、機体強度も充分な設計を行い、最初は7.7ミリ機銃搭載であったが、12.7ミリ機関砲をも装備、
さらに南方戦線でドイツから潜水艦で輸入してきたマウザー(モーゼル)20ミリ機関砲を戦地で翼に乗せる改造にも耐える戦闘機を設計しえたのだった。
だからよく言われる、急降下速度制限のあった零戦とは異なり、この飛燕は戦闘中の飛行時の急降下で音速を超えたこともあるようだ。(速度計の表示は700キロ/時までだったらしいので、参考記録?)
そんな実績で、この枚方、星田に惜しくも撃墜された中村中尉機には12.7ミリと20ミリの機関砲が装備されていたんですね。
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ところで、川崎航空機の発動機部門は、この飛燕の発動機を旧陸軍主導でライセンス生産を始めるまでは同じ水冷でドイツのBMWのエンジンを元に独自に改良しながら生産していたようだ。
ただ、当時の日本の未熟な生産技術では、液漏れ油圧漏れなどに悩まされ、殆どの日本軍用機の発動機は空冷式になっていったようです。
油圧漏れは同じでしょうが、液冷と違い水漏れは無いもんね、
その川崎の発動機製造工場は兵庫県の明石市にあり、その工場にミモパワの伯母は学徒動員で女工をさせられていたと最近聞いたのだった(最近と言っても5年位前)
明石工場も空襲に合い、伯母の同級生たちも何人か犠牲になったらしい。

この機体のパイロットだった中村中尉も、軍国主義の手先としてではなく、純粋に国を守る気持ちで戦いに参加したのだろう。

ところで、この交野に行く前の、3月の高知出張に、時間つぶしのためにブックオフで古本を2冊買い込んだ。
1冊は最近ちょっとづつ読んでいる宮城谷さんの中国物、そしてもう1冊の本が
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この三式戦闘機飛燕を装備し、南方戦線に展開した独立飛行第103中隊の松本少尉の空戦記だった。
これが面白く、ベテランエースパイロットであり中隊長の小沢郁夫大尉が新米の松本少尉の、従来の陸軍戦闘機乗りとは異なる、飛燕戦闘機に適した飛行技術を持つ素質を見抜き育て、ともに戦い抜く姿、
松本少尉機付き整備班長の日野軍曹の飛燕をより戦う機体に改造していく様が
まるでガンダムのようなアニメのストーリーのようでむちゃくちゃ面白かった。
官給品をここまで改造するなんて、ありえないもんなぁ。
詳しく知りたい方は読んでみてね。

でも、国として進む方向を間違えてしまって、戦争になったことは間違い無い
いまは参議院選挙中だが、自分や党の利益ばかり考えるのじゃなく
真剣に国を考える政治家に投票したいと、こういうものを見聞きするにつれ、思わざるをえませんね。
小沢大尉も、中村中尉も、松本少尉も、戦いたくは無かったのでしょうから。

手を繋ぎあうことがいちばんですよ。
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で、再度挑戦するのに選んだカメラは、電気仕掛けのカメラはそぐわないな、と
ペンタックスSLにオートリケノン55ミリF1.8を取り付けたものを用意しました。
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どういうこだわりなんだか。

中村中尉の所属した伊丹に展開した飛行第56戦隊は中尉が撃墜された頃、装備機が”飛燕2型改”に改変されていたようだ。
となるとこの発動機はハ-40では無く、ハ-140が正解になるのかも?
微妙~。
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by mimopowerOM-1 | 2010-07-01 21:43 | リコー | Comments(4)
Commented by 白髭 at 2010-07-02 09:51 x
軍事オタクの面目躍如!!! 若い人に多いんですね。機体が似ていたというP51との戦い どんな結果だったんでしょうね。
会長の現役の時代なんですが なにかご存じでしょうか?
Commented by mimopowerOM-1 at 2010-07-02 20:13
オタクっちゅうほど、オタクでもないと自負しておりますが(^^)
血湧き肉踊ります?

設計者の土井さんが戦後P51のラジエータの位置を見て
(液冷式の飛行機は、冷却効率がよく、且つ空気抵抗が小さくなるべくラジエーターの位置には設計者は頭を悩ませるそうです)
位置は試行錯誤の末決めた飛燕の位置と同じで間違えじゃなかったと見ましたが、
空気取り入れ口が機体表面から浮かせて、空気の流れが乱れていない位置に持って行っている事に、さらに優れていると言う感想を持ったようです。
P51は、最初は武器援助用に作られて、
初期型はアメリカ製の液冷式アリソンエンジンを積んだパットしない戦闘機でした。
イギリス製のロールスロイス マーリン エンジン(スピットファイアと同じエンジン)に乗せ変えて、格段に性能がよくなりました。
やっぱりエンジンが大事ですねぇ。
アメリカも、空冷式のエンジンが主流だったようです。
馬力は日本製の2倍から3倍以上ありましたけどね。 
Commented by jack at 2010-07-04 23:09 x
マウザーってツァイスグループなんですよね。現在はどうだか知りませんが...
マウザー製の大型三次元測定機とかツァイスで売ってました。
Commented by mimopowerOM-1 at 2010-07-05 19:53
jack様こんばんわ
アサヒカメラの読み物で、対空射撃用照準機(もちろんツァイス製)をこれまた潜水艦で運んできて、
これをコピーするのに苦労したと呼んだことがありますが、
マウザーもツァイスグループだったことがあるとは。
調べてみましたら、ラインメタルなんて名前も出てきましたね。
東独側カメラになると思うんですが、(メイヤーのレンズが付いていたから…?)
裏蓋の貼革にラインメタルのエンボスがあったんです。
買わず仕舞いでしたが、もしかしてラインメタルとツァイスにも何か関係が?
有るのかどうかは私にはわかりませんけれど。


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